#35 Cutting Edge Green (カッティングエッジ グリーン) 和訳 Chapter 16「文明の隆盛」
[第一段落]
古代から、歴史家は、文明の栄衰が人口の変化と密接に関係していることに気付いていました。
これらの人口の移り変わりは、世の中の運命に重大な影響を及ぼしてきました。
人口の減少は、軍事的、経済的、文化的に、人口が増加したときに比べて劣ることがよくあります。
人口の増加は、特に人口が地理的に急増した場合に、多くの歴史的な出来事の原因となっています。
人口増加によってもたらされた歴史的な変化に、政治革命と国家の領土拡張が挙げられます。
[第二段落]
17世紀からの英国の人口増加率の結果は、多くの点で、英国による新たな領土の拡大と産業革命に影響を及ぼしました。
英国の人口増加は、18世紀と19世紀に失業危機に直面したという広く信じられてきた結果に繋がりました。
この危機を解決するために、政府は人々に、植民地だったアメリカとオーストラリアに海外移住するように勧めました。
また、雇用を創り出す方法として、新しい構想に投資するという会社を奨励しました。
いくつかの新しいアイデアは、最終的に産業革命の技術においての大躍進につながりました。
[第三段落]
18世紀のフランスの人口増加は、フランス革命で役割を果たしました。
フランスの人口は、1740年の2460万人から1790年には2810万人にまで増加しました。
これにより、食料の供給が不足している時期に食料の需要が高まり、フランス全体で食料価格が上昇しました。
都市化と貨幣流通の増加により、価格上昇はさらに広がってしまいました。
その結果、フランスの平均賃金労働者の購買力が低下し、景気が後退しました。
不況は、ますます大きくなり、強力になっていたフランスの職人と商人の階級に打撃を与えました。
社会の不安を引き起こしたこの状況は、結果として公共の支出を支えるのに十分な歳入を提供できなかった不公平な税制によってさらに悪化しました。
これが1787年の財政破綻と、最終的に1789年の革命につながりました。
[第四段落]
1870年代から1945年までの日本の領土の拡大は、部分的に、日本の人口増加したことによって引き起こされました。
19世紀半ば、日本の人口は急速に増加しました。
これは、日本人が意図的に出生率を下げて成長を遅らせていた150年間の後のことです。
この成長により、生活水準の低下と、さらなる土地の必要性が懸念されました。
日本の政府はこれらを利用して、国土の拡張政策の支持を集めました。
この政策には、群島の北部の島々への定住と、沖縄、台湾、韓国に対する支配が含まれていました。
何か間違いがありましたら、コメントでご指摘していただけるとありがたいです。
次のチャプターの和訳です。